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2012/05/11 (Fri) 17:42
私が映画業界に入ったのは、1984年3月の後半、大学卒業してある人の紹介でこの世界に入りました。映画業界と言うのは閉鎖的な業界でもあり、まず映画会社は日本の大手(東宝、松竹、東映)以外は正規の募集をかけていない、またアルバイトで入って欠員ができたら社員に昇格するかも、といった感じの世界でした。
大学4年の時に映画館でバイトをしていた時に、そこで出会った人からの紹介で映画系の広告代理店に入社して、その出向で松竹富士の宣伝部に籍を置くことになりました。
右も左もわからず、とにかく雑務をしながら宣伝部員の人たちについて仕事を覚えていくことになったのですが、その最初の作品が『海燕ジョーの奇跡』でした。
監督は最後の日活で傑作『八月の濡れた砂』を送りだした藤田敏八、主演は「ふぞろいの林檎たち」で注目を浴びていた時任三郎、そしてその後ぷっつん女優として有名になってしまった藤谷美和子。
私はこの作品の宣伝プロデューサーのアシスタントについて、あっちこっち出かけていくのですが、なにぶんにもわからないことだらけ。おまけに邦画の場合は、芸能事務所との行政が大変なので、傍から見ていてもトラぶっているのがわかります。そんな中で、小学館の「海燕ジョーの奇跡」特別写真集という、映画の写真で構成されていた本が出版されることになっていたのですが、この作品では藤谷美和子が脱いでいるということで話題になってました。そのシーンの写真を入れる、入れないで、事務所ともめていたのでした。これは近年知ったのですが、その頃、藤谷美和子はこのヌードの一件で所属していた事務所から別の事務所に移ってしまい、それがもめるきっかけになっていたとのことでした。
本は出版されましたが、新しい事務所とごたごたしていたためか、初日に私は新宿ジョイシネマでの舞台挨拶において、近所のホテルのパーキング担当で、彼女の事務所の車を誘導したのでしたが、不手際でもないのに事務所サイドからどやされてビビったのでした。
 
 
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